師匠の背中

初めてのドイツ

『木村くん、"ドイツに行こうか‼︎”』

と、突然声を掛けてきたのは

僕が尊敬している

理学療法士の師匠でした^ – ^

僕は当時(20代前半の頃)

人からの誘いを

断った事がなかったので

内容を聞かずに

「はい!行きます」

と即答したのをきっかけに

僕にとっての

とてつもない試練が始まりました。

翌日、再び師匠から

『木村くん、

自分はビジネスクラスで向かいたいから現地集合でよろしく👍』

と、言われ

「はい、分かりました‼︎」

と、答えたものの

●初めての海外で1人きり
●自信のない英語とドイツ語
●パスポート持ってない

など不安しかないこの状況に

一度は"絶望"しました(>人<;)

しかし

なんとか

すべての課題をクリアし

無事現地集合を果たしました。

師匠と合流すると

『おっ、やるね👍』と

ニッコリ笑いながら

軽く褒めて頂き

早足の

"師匠の大きな背中"を

見失わないように

必死にあとを着いていきました。

ドイツの人々と交流

その後、師匠と僕は

ドイツの

●医療施設の見学
●理学療法士の学生さんとの交流会
●ドイツ語での実技セミナー
●プチホームステイ

など

自信のない英語とドイツ語に

翻弄されながらも

なんとか

すべてを終える事ができました。

この経験が

その後の僕の

理学療法士人生に

大きく影響を与えてくれました。

師匠には本当に感謝しています♪

突然の出来事・・・

そして

無事ドイツから帰国し

日常業務に戻った

ある日

師匠が突然目の前で倒れました。

「大丈夫ですか…⁉︎」

師匠から返事はなく

血圧を測ると80台でした。

そして

職場の医師、看護師さんに

処置を受けました。

聞くと

数日間何も食べていなかったそうです。

師匠の肝臓には

大きな腫瘍があり

その腫瘍が胃を圧迫して

食べる事ができなくなっていたのです。

"末期ガン"

余命3ヶ月と言われた

師匠は

理学療法士として

患者さんのため

僕たち新米を育てるため

最後まで現場で働きたいと

余命を覆し
宣告を受けてから

6年も長く生きてきました。

しかし

今まで辛い様子を

一切見せず

僕らの前でいつも"笑顔"だった師匠も

いよいよ

家から出られなくなってしまいました。

感謝を伝える

"弱った姿は見せたくない"

という師匠の要望で

僕たちはお見舞いすることも

許してもらえませんでした。

"感謝の言葉だけでも直接伝えたい"

そう思った僕は

師匠の奥さんに頼み込み

なんとかお見舞いさせて

もらえる事になりました。

師匠のお宅に伺うと

玄関まで

師匠が顔を出してくれました。

『木村くん、少し話そう』

そう言って

青白く痩せ細った身体を

なんとか一歩ずつ前進させ

師匠と僕は

アパートの階段に座り

少し冷えた風にあたりながら

ほんの少しだけ

一緒の時間を過ごしました。

しかし

僕は

いざ、弱った師匠を目の前にすると

何も言葉が出なくなってしまいました。

すると、師匠が

『今、新しい治療薬始めたんだよ

これが効けばもう少し良くなるよ』

と、ほんの少しだけ

ニッコリと微笑みを浮かべました。

その言葉を聞いた瞬間

"溢れそうな何か"を

必死に抑えながら

「よかったです。

少しでも体調が良くなるといいです。」

と、伝えました。

師匠は

『寒いから、そろそろ戻るよ

ドイツ、楽しかったな』

と、言い

僕は「はい」

と言いながら

師匠に肩をかし

玄関まで一緒に歩きました。

信じられないくらい

軽くなった師匠の身体を

支えながら

玄関で最後に

「ありがとうございました…」

とお伝えすると

師匠は振り返ることなく

細くなった右手を

振り上げてくれました。

それが

僕が目にした

最後の"師匠の背中"でした。

後日、奥さんから聞いた話ですが

『あの人強がりたがら

治療で助かる見込みはない事も

わかってたのよ。

でもね

木村くんには

いいところ見せたかったのね^ – ^

最後にあの人を

"カッコいい姿"にしてくれて

ありがとうね』

「はい」

と、奥さんに深く頭を下げ

師匠の"カッコいい姿"を

思い浮かべながら

僕はそこから

新しい一歩を踏み出しました^ – ^

»【投稿】理学療法士:木村陽志

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